執筆者 mugwortborn | 3月 20, 2017
輪廻を生きる私たちは、多くの物を食べ、多くの物のにおいを嗅ぎ、いろいろな人と夜をともにし、そして、このような行動の全てがどのような種をまいているのか全く知らずにいる。知りながらも、知らないうちにも、私たちは、たえまなく、遺産を作り、世界を変え、私たちの痕跡を残し続けている。...
執筆者 mugwortborn | 12月 5, 2016 |
第7編:無邪気さの喪失 私が育った東ブータンでは、いたる所に男根が飾られていた。私の家でも、ドアノブに彫られていたり、スープ用のレードルの飾りになっていたり、階段の手すりについていたりした。それらはまた、家の中にも外にも、様々な大きさと形で、壁に描かれていた。たくさんありすぎて、いちいち気にとめる人もいないぐらいだった。男の子も、女の子も、兄弟も姉妹も、僧侶も尼僧も、これらの男根のシンボルや絵の前でおしゃべりをしていた。...
執筆者 mugwortborn | 10月 13, 2016 |
第6編 思い出と気品について 思い出というのは、悟りに至った者のためのものではない。悟りに至った者は、思い出すということをしない。なぜなら、彼らに過去はないのだから。過去とは—そして、そのことについていうなら、現在と未来も—、過去を参照して、未来が来ると期待し、それを当然と思う私たちのような者のためのものである。...
執筆者 mugwortborn | 8月 7, 2016 |
私が次の生で何と呼ばれるかはわからない。だいたい、名前などというものがある世界に生まれるかどうかもわからないのだ。カブト虫たちに名前はあるのだろうか。おそらく、ゾンサル・ジャムヤン・ケンツェという今の名前は、野心と影響力をもった人の子か、人を操るのが上手い親戚の子に与えられるのだろう。そして、私はといえば、その名前をもらった子どものお茶のなかに落ちて死んでしまうのだ。...
執筆者 mugwortborn | 6月 9, 2016 |
第4編 秘められた地 ...
Recent Comments